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執筆者の写真_ ぬぺ

秩序のカリスマ推しの凡人による『方丈記』感想

更新日:2023年11月23日



……なんだこの写真。


ということで、読みました。『方丈記』。

事の発端はこれ。



「方丈記です」 「これを読めば非常に勉強になります すべてのことが書いてある。ご一読を」 「読みましょう 皆さんのようなハチャメチャ動物園の人間にもしっかりとした常識が身につくことでしょう」 #20「Xmasパーティー」より

推しが思う「すべてのこと」が書いてあるならもう読むしかない。


普段は推しに狂ったり、推し関連の作品を作るべく筆を握って夢女子まっしぐらな作品を量産しておりますが、これでも一応国文学を専攻している人間なんでね。

鎌倉時代の文学は実はあんまり好きじゃなかったので通読するのは初でした。

割とサラッと読めますね。そもそも分量の多い作品でも、小難しい話をしている作品でもないので(とかいう感想が出てくるのは多分私が不勉強だからなんですけど)、数日で読めちゃう。ここ最近忙しくて隙間時間にチマチマ読み進めていたので、実際かき集めたら数時間くらいになるんじゃないかな。というかこれ書きながら読み直したら1時間で読破しました。


私の話はこの辺にして。

ここからは理解お兄さんが「すべてのことが書いてある」と言っていた、という前提で読んで感想を書いて行こうと思います。

本文の引用は全て冒頭写真にも挙げた市古貞次校注『新訂方丈記』(岩波書店、1989年)から。

現代語訳は私の雑訳です。だいぶ意訳も入れてます。

ちなみにこの本、かなり注釈が親切なうえに補注も充実しているので結構読みやすいかも。あと文庫本だから安いし、読みやすいし。




最初に一つ、とても感覚的な話を。

読了した後の感想を一言で、と言われたら、多分「無彩色だなと思った」になります。

飾らない言葉で、ありのままを淡々と述べる。華なんて無い。

でもそれが、いつだってまっすぐで、イメージカラーがグレーの理解お兄さんらしいなあ、とも思いました。




ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

おそらく『方丈記』の中で一番有名な一説。

本作の根底に流れる「無常観」を象徴する言葉として引用されます。でも実際読んでみた感想としてはそんなに「無常観!!!」って感じじゃなかったですね。いやそもそもこんなエクスクラメーションマーク3つもつけるような言葉じゃないけど、無常観って。


だから腑に落ちたんですよね。

秩序って無常観とはかけ離れたところにあるものだと思っているから。

全てのものは移ろいゆくものだと考える無常観に対し、「確固たる正しき」絶対のルールを敷く秩序。

まったく合わないなぁ、なんて思っていたけれど、後半はそれよりも普段の鴨長明の暮らしにぶりに重きが置かれていて、そちらの方が刺さる部分多かった気がします。




このあとしばらく災害の話が続きます。

大規模な火災、台風、遷都、飢饉、地震……。

この辺普通に鬱々とした気持ちになりながら読んでました。なんでそんなに描写リアルにするの?

で、なんでこれをクリスマスプレゼントに選んだの??




すべて世中(よのなか)のありにくゝ、わが身とすみかとのはかなくあだなるさま、又かくのごとし。 世の中にあることは全て生きにくく、自分自身とその住処とが思い通りにいかず、無駄なのはこのようなことである。

災害の生々しさを散々書いた後にこのパートが始まる。

隣に金持ちが住んでいたら卑屈になっちゃう。都会に住んだら火事の被害に遭いやすいけれど、田舎は泥棒が多い。

時勢に乗っていても孤独でもいけないし、金持ちも貧乏も良くない、云々。


世に従えば、身苦し。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしも此の身を宿し、たまゆらも心をやすむべき。 世間に従えば、苦しくなる。従わなければ、狂っているようなものだ。どこで、どのようにしたら、しばらくの間でもこの世で少しでも心を休めることができようか。

……カリスマの話してます?


「社会からはずいぶんと不当な扱いを受けてきたようだ まるで欠陥人間のように」 #75「帰りたい」より

25年の人生で「不当な扱い」を受けてきていたお兄さんにここが刺さらない訳がない。

しかもお兄さんって結構他者からの評価を気にするんですよね。


「まぁたしかに私は幼い頃から周りに 固すぎる 融通が利かない ウザいとさんざん言われてきましたけど まぁ、愚か者たちの戯言だから全然気にしてないけど」 #3「秩序」より
「こういうことは普通のことなんだろう? 分かってる おかしいのはきっと私の方なんだ そうだろう」 #72「夏祭り」より

本当に気にしていない人間は他者からの評価なんてすぐに忘れちゃうんですよ。

認めたくないだけで、きっと普段から自分は他人とは違うって思いを抱えて生きているであろうお兄さん。

そんな中、世間一般においても名著とされる作品に、爪弾き者にされている自分を肯定するような文章があったらそりゃ舞い上がる。

正直この一文読んだ瞬間にそりゃ理解お兄さんが「すべて」って言うわけだわ、って思いました。




さて、鴨長明の記述は家の話に移っていきます。今作、結構家に関する記述が多いです。

30歳を過ぎてから引っ越しして小さな家に住みます。いろいろ書いてますが、狭いうえに立地も建付けも不安定。

そこから30年ほど暮らしますが、その間に自分の「短き運」を悟って50代で出家。計算がだいぶざっくりしてますが気にせず行きましょう。

60代になってから暮らした場所が「広さはわづかに方丈」の家。タイトル回収が大好きなオタクなのでここの記述めっちゃテンション上がりました。


ただ同時に気になったのは、この記述の感じから見るに簡素で狭い家を肯定するのが鴨長明。

元大使館別荘で暮らす彼とは結構矛盾する。これもきちんと読む前に気にかかっていたことではあったのですよ。



若し心にかなはぬことあらば、やすく外(ほか)へ移さむがためなり。 もし気に食わないことがあれば、簡単に引っ越しできるようにするためだ。

本人がこう書いている通り、小さい家で簡素な作りの家に暮らす鴨長明。そのあとは室内の描写に映るんですが。


南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、北によせて、障子をへだてて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法華経を置けり。東の際に蕨のほとろを敷きて、夜の床とす。西南に竹のつり棚を構へて、黒き皮籠三合をおけり。すなはち、和歌、管弦、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴、琵琶おの\/一張を立つ。いはゆる折琴、継琵琶これ也。仮の庵のありやう、かくの如し。

うーん引用が長い。そして変換が地味に面倒だった。

とにかく、簡単にまとめると。

  • 部屋にある主な家具は棚くらい

  • (絵だけど)像あり

  • 寝具は植物が伸びてきたやつ

  • あとは和歌や管弦の本とそのための道具

だいぶ理解お兄さんの部屋では?

部屋にあるのは本棚と本、机くらいで、像があって。道具がちょこっとあるのもホイッスルとカードケース。もしかしてとことんリスペクトなさってますか?

……となると、あの画角の外に植物ある? その上で寝てます? 流石にそれは無いよな。凡人心配。

まあでも、割と質素な寝具使ってるんだろうなって、そういう想像がはっきりできるようになったのは個人的にはとても嬉しい。


そしてこれではっきりしたわけですが、彼にとっての”家”は”部屋”と考えて良さそうですね。

もちろんリビングとかが家じゃないってわけじゃないんですけど。

”共同スペース”、”自分のテリトリー”ってきっちり分けてて、”狭いスペースで、簡素に、必要最低限の物を”っていうのは自分の部屋の中だけで完結させるようにしてるんでしょう。

まあ彼のことだし本当はリビングとかもそうしたがってそうですけど。その辺は奴隷との戦いになると思うんでそれはそれで大変そうですね。


ここまで書いて、そりゃ大瀬くんが異様に慕うわけだわって思いました。

初めて自分に優しくしてくれたとか、自分を肯定してくれたとかもあるんでしょうけど、

他者からの評価を過度に気にする、自分の部屋に明確な世界があるという点で似通った部分があるなあって。

(他の同居人たちは「自分の世界」というより「自分の好きなもの」の部屋って感じがしている。感覚的な表現だけど。)

本人が分かっているのかいないのかは分からないけれど、少し似たものを感じたのかな、なんて思いました。




ちなみにこの後は家の周りの話が続きます。自然に囲まれ、四季を感じる暮らし。

小町亭ってどの辺にあるんでしょうね。商店街に歩いていけるくらいの距離だろうけど、「別荘」って自然いっぱいのところにあるイメージだし……。実際に公式HPで見られるイラストも結構自然いっぱいの感じしますし。




若し夜しづかなれば、窓の月に故人をしのび、猿の声に袖をうるほす。 静かな夜には窓から月を眺めて知り合いを思い出し、猿の鳴き声に涙する。

ぜんっぜん関係ないんだけど、ここの記述で猿ちゃんとしょーもないことで口論する理解お兄さんが浮かんでダメでした。鴨長明が言ってることと真逆なんだが。




おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども、いますでに五年を経たり。仮の庵もやゝふるさととなりて、軒に朽葉深く、土居に苔むせり。 だいたい、ここに住みはじめた時、少しの間だけ住もうと思っていたけれど、既に5年も経ってしまった。仮の住まいも既に故郷になって、軒には落ち葉が深く積もり、土居は苔むしている。

ねえ!!!ここ!!!!ここなんだよ私が聞きたかったのは!!!!


ここ、ちょっと話が変わるんですよ。市古氏校注版では2行ほど開けているし、もう一つ今私の手元で確認できる本である『新編日本古典文学全集 44 方丈記 徒然草 正法玄僧随聞記 歎異抄』(小学館、1995年)でも「閑居の気味」という章として扱っている、その1文目です。


つまりはちょっと印象的な場所に配置された部分で、

「仮住まいにしようと思っていたけれどいつしかここが故郷になっていた」

って書かれているんですよ。


故にこうしてカリスマどうしで身を寄せあい、日々カリスマ性を育み、さらなる高みを目指すいわば仮住まいの状態。 「超人的シェアハウスストーリー カリスマ」Introductionより

このシェアハウス生活は、あくまでも「仮住まい」。

自分が仮住まいをすると決まった段階で、絶対に脳裏によぎったはず。


「いつも言ってるだろ 私たちはべつに家族なわけじゃない あくまでも赤の他人の共同生活なんだ」 #1「服従(本橋依央利)」より

本人も最初はこう言っていて、他の住人とも一線を引いていて。

それでも、20話に差し掛かる頃にはこの文が書いてある本をプレゼントとして選ぶほどカリスマハウスと、「はちゃめちゃ動物園」な同居人たちのことを気に入っていたのかな。

もうここを故郷と思っても良いかも、って思えるくらい、カリスマハウスに居心地の良さを感じていたのかな。


この文章を同居人に、「すべて」だと言って勧めるのって、彼なりの信頼とか友愛の証なのかもしれないなって思いました。

理解お兄さん、あんまり自分の本心を言わない人だから。

普段から他人に好意を伝えることがほとんどないけれど、それがこの一文に詰まっているんじゃないかな。


いやまあ、そうだったらいいなっていう凡人の願望も入ってます。ずっとずっと7人で一緒にいてほしいって思っているから。


「私という完璧な常識人が中心に鎮座していることでみんなが自由奔放でいられると!」 「つまり私と言う存在が逆に仇になっている可能性もあると テラさん、いつの時代も教育とは難しい」 #87「バスは来ない」より

2個目の台詞を愚直に信じて、彼だけが輪から離れていくことがありませんように。




かむなは小さき貝を好む。これ事知れるによりてなり。みさごは荒磯にゐる。すなはち人を恐るゝが故なり。われまたかくのごとし。事を知り世を知れれば、願はず、わしらず。たゞしづかなるを望とし、うれへ無きを楽しみとす。 ヤドカリは小さい貝を好む。これは身の程を知っているからである。ミサゴ(鳥)は荒磯にいる。人を恐れているからだ。私も同じようなものだ。自身のこと、世間のことを知っていれば、分不相応な願いをしたり、あくせく奔走することもない。ただ静かに喋ることを望み、心配事が無いことを生きる楽しみにする。

前述したように、”家=101号室”という前提で話を進めているんですけど。

なんかここも理解お兄さんっぽいなあと思いました。彼意外と身の程をわきまえているところあるから。「おかしいのはきっと私の方」だと分かっていて、その上であのあまりにも物がない部屋だったらどうします? 凡人は泣いちゃいますけど。

そのうえ追い打ちに「人が怖いから人気のないところに住む」ってくるの……。これもカリスマじゃないですか。


個性あふれる欠陥仲間 頭の数だけ生まれるストーリー 良いとか悪いとか一概には言えない ここじゃなきゃ こいつらどこにも家無い 「めちゃめちゃカリスマ」より

世間の爪弾き者にされた7人。だからこそこの文が理解お兄さんの中に刺さっていてもおかしくない。

しかもその後に続くのが「われまたかくのごとし」。”自分もそうだ”って寄り添ってもらえるのって嬉しいんじゃないかな。他人と関わり合いになりたくなくて人のいないところに引っ越すって結構勇気要ると思います。特にカリスマたちはまだ20代がほとんどで、働き盛りだろうし、結婚とか含めて人間関係も盛んな時期だし。そんな中でそれを肯定してくれるような文章があったら、好きになっちゃうのも仕方ないんじゃないかなと。


「自身のことと世間のことを知っていれば分不相応な願いをしたり、あくせく奔走することもない。」

というのも、彼なりの”秩序を求める”っていうことに繋がりそうだなと。

自分も社会も、秩序がしっかりしていれば、秩序さえ把握していればいい状態になるわけで、それってお兄さんの理想の世界でもありそうですよね。

彼の秩序が少々行き過ぎているというのはまあ脇に置いておくとして。




夫(それ)、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、懇ろなるを先とす。必ずしも情けあるとすなほなるとをば不愛(あいせず)。 そもそも、人間は金持ちや表面的に親切な人間を友人にする。必ずしも情けのある人や素直な人を愛するとは限らない。

鴨長明が今の人間関係をかなり否定的に書いている一節。ここの記述が好きなんです。

カリスマハウスの住人は、「情けのある」「素直な」人たちばかりなので。まあ反発とか善悪の弁パカパカとかいるけれど、それはそれとして。

私はなんやかんや言いつつ同居人のことが大好きで大切で仕方がない7人のことが大好きなので、この文章読みながらちょっと頬が緩みました。




今さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でて、身の乞匃となれることを恥づといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵に馳することをあはれむ。 今私は寂しくて一間しかないこの庵を愛している。たまたま都に出ていって、自分が乞食になっていることを恥じても、帰って来て家にいる時には、他人が俗世間に振り回されていることを憐れむのだ。

これも理解お兄さん思ってそうだなと思った部分。


「いいか愚かな世間ども 狂っているのは貴様らのほうだ 好いた惚れたを軽々しく垂れ流し 地に落ちた貞操観念 誓いを立てながら平然と相手を裏切り 目先の快楽に溺れる愚者ども ふしだらここに極まれり」 #27「ふしだらの与一」より

自分の部屋はほぼ物が無い簡素な空間。流石に乞食にはなってないと思いますが。それでも帰って来て、やっぱり自分は幸せだなって思える瞬間を得られる空間。


「うるせぇーーー!!! 私は幸せだバカ!」 #68「暑い」より

こんなこと言ってる人なんで心配はしてませんが。

確かにお兄さんにとって”家=101号室”だと思っているのですが、家に帰れない2ndシーズンでは同居人たちとも楽しくやっているみたいだし、もしかしたら彼の中では”家”の範囲が”仲間たちの元”にまで広がっているのかもしれない。

……でも、「他人」の中に同居人たちも入っていて欲しいと思っている自分がいることも事実なんですよね。ええ。




若し人このいへる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水にあかず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願ふ。鳥にあらざれば其の心を知らず。閑居の気味も又同じ。住まずして誰かさとらむ。 もし私が言っていることを疑うなら、魚と鳥の在り様を見よ。魚は水に飽きることはない。魚で無ければその気持ちはわからない。鳥は林に住みたがる。鳥でなければその気持ちはわからない。閑居の良さも同じだ。住まないで分かる人などいるはずがない。

方丈記を読んだうえで、限りなくそれに近い暮らしをした感想を、本人から聞いてみたいなと思ったりもします。

実際暮らしたうえで他人に勧めている以上、ほぼ諸手を挙げての賛成なのでしょうがね。




ざっとこんなところでしょうか。

一応『方丈記』の方にはもう少し長明自身のまとめの言葉みたいなのが続きますが、割愛します。


総じて、世俗から離れたところでひとり暮らす鴨長明が、自分の家のこだわりやその暮らしぶりを淡々と書いている随筆、というのが『方丈記』。その端々に世俗の人間への疲れ、愼ましくくらしていくことに対するささやかな幸せが綴られていました。そしてそれを正しいと信じて疑わない長明の確固たる意志も。

そういう彼の暮らしぶりが、世間に馴染めないまま過ごしてきて、それだけの共通点でシェアハウスを始めた7人と被るところがあるなあと。凡人の私でさえそう思うのだから、きっと当事者である理解お兄さんにはもっと響くものがあったんじゃないかな。「すべて」だと断言できるほどに。

そして前述した通りですが、それを同居人たちに勧めたという事実。そもそも「自分の好きなものを他人に勧める」という行為自体、親しくしている相手じゃないとできないことだと思うんですが、それ以上に自分のバイブルを、自分が共感して、自分に寄り添ってくれていると感じたであろうものを、自分と限りなく近い境遇に置かれていた相手に勧めるというのが、実はものすごく大きな愛なんだろうなと。

理解お兄さんはあまり本音を言わない人なので。お酒の力を借りたり、誰かと2人きりになって自分の異質さを突きつけられない限り、「警視総監」という武器であり防具である皮を被ったままの人だと思っているので。

他人から見たらだいぶズレた形であることは否めないけれど、自分の想いをこんな形で同居人に伝えていたんだなって、そのことが分かったのが凡人はすごく嬉しかったです。



で、実はもう一つ気になっていることが。


「方丈記は読みました?」 「読んだ」 「え~なぜ読まないのですか せっかく私が…ええっ!? 読んだんですか!? やった! 嬉しい!」 #38「インタビュー ふみや」より

理解お兄さんがカリスマハウスに来られた事、生活できていることが幸せだとしたら、一番それを伝えたい相手はこの空間を用意してくれた人、つまりはシェアハウスを持ちかけてきた伊藤ふみやその人なはず。

「やった! 嬉しい!」という、成人男性にしては可愛らしいリアクションもきっとそういうことなんでしょう。同じく同居人のことが大好きなふみやのこと、理解お兄さんの意図も汲んでいるんじゃないかって気がしてしまいます。

そのうえで彼が何を考えたのかは正直私にはわからない。伊藤ふみや、私にとってはあまりにも未知数の人間なので。「同居人たちのことが大好き」以外の点に関して測りかねているので。正邪推しの方になら分かるんでしょうか。




感想はそろそろこの辺で畳みたいと思います。

正直、ここまで凡人の戯言、無駄な深読みな気がしていますがね。だってカリスマは常に予想の斜め上を行く人たちだから。こんなにも考察が意味をなさないコンテンツはそうないから。

とりあえず、彼のセカンドブレイクをおっかなびっくり待とうと思います。これで何一つ彼の本心に近くなかったら笑ってくれ。



*2023/8/10 分かりづらかった文章の修正

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